違憲審査の対象B | ||
違憲審査の対象となるかの問題について、前回の勉強会ではC立法不作為について、再度一審判決を見て検討したわけよね。 ただ、よくよく考えてみるに、立法不作為は、新司法試験でも問われているわけだし、ここはもう少し丁寧に判例を見て勉強すべきだと思うわ。 |
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・・・とりあえず先を急ごう、という発想はないものだろうか、とマヂレス。 | ||
うーん、確かに、その指摘はあるかもね。 でも『鉄は熱いうちに打て』とも言うしね。 |
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・・・どういう意味だっけ、オネーちゃん。 | ||
麻雀を打つ鉄火場においては、気持ちが熱いうちに打ちまくれ、っていう先人の教えだお。 | ||
へぇ〜。 でもチイは、あんまり麻雀はワカラナイから、光おねーちゃんの言葉を知らなくても仕方ないね。 |
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うんうん。 まぁ、この機会に憶えておくといいお。 |
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大丈夫! もう憶えたよ! 『鉄は熱いうちに打て』だよね。 |
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違うからね、チイちゃん? 基本、あなたのオネーちゃんは、口から出任せばかり言うから、真に受けないのが大事よ? うん、決めたわ。 やっぱり、ここで立法不作為については、もう少し踏み込んだ理解をしておくべきだと判断したわ! |
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おおう、独断専行限りなし! 誰も喜ばない決断きたぁぁぁ!! |
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藤さんには、立法不作為なんて既に、十二分に把握されてみえる論点でしょうが、私は以前の立法不作為の勉強会には参加していないので、この機会に勉強させて頂けるのは有り難いです。 | ||
チイも、チイも!! 立法不作為は、得意じゃないし、教えて欲しいよぉ! |
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そう言ってもらえると、勉強会にも熱が入るわね! それじゃ、立法不作為について、もう少し判例を見ていくことにしましょうか。 まずは、立法不作為についての判例を見る前に、下の図を見て欲しいわ。 |
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左から順番に、 国家からの自由 国家への自由 国家による自由 というイメージを図で示したものになるわ。 まだ人権についての勉強をしていないから、ザックリとした説明にしておくけれど、国家からの自由というのは、例えば自由権が、そうよね。 国家への自由というのは、国民から国家への矢印でワカルように、国家へ参画する自由、具体的には、参政権や選挙権が、そうよね。 そして、国家による自由とは、社会権や生存権が例として挙げられるわ。 それぞれの権利が、どのようなものか、っていうイメージを掴む意味で用意した図なんだけど、なんとなくイメージが掴めるんじゃない? 今日の勉強会で、おおよそのイメージとして掴んで欲しいと思っているのは、この図による理解なのね。 今度は、今の図に少し付け足した下の図を見て欲しいんだけど。 |
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昭和60年判決や、平成17年判決は、いずれも図の真ん中の権利にあたるわ。 選挙権という憲法上の権利についての立法不作為を争った事案だからね。 少し、ここからはザックリとしたイメージを掴む上での説明、という一言を加えさせてもらってからの説明になるんだけど。 一般的に国家の裁量は、@<A<Bという順序になるわ。 自由権についての裁量は狭く、他方、生存権のような国家による自由のような権利については、国家の裁量が広いってことよね。 同じ立法不作為でも、憲法上の権利の性質が違うと、その見方が変わる、という視点をもって今日の判例は見て欲しいって思っているわ。 つまり、Aを基準として、@の方にいけば、認められやすい、っていうイメージ。 Bの方にいけば、そもそも国家の裁量が強いものであるため、認められにくいってイメージね。 |
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うーん、なんか抽象的な話ばっかで、よくワカラナイなぁ。 とりあえず、判例を見て、具体的な話をして欲しいんだけど。 |
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じゃあ、軽いジャブとして、一つ判例を見ることにするわね。 関釜訴訟一審 (山口地裁下関支部平成10年4月27日判決) を検討素材にするわ。 この事件は、韓国在住の韓国国籍の女性らが原告となって、日中戦争・第二次大戦中に、日本軍による従軍慰安婦として性的暴行を受けた、女子勤労挺身隊として強制連行された、と主張して、日本政府を訴えた、という事案なのね。 原告の主張は、大きく4つ挙げられるんだけど、ここでは、立法不作為による公式謝罪、国家賠償請求のみを取り上げることにするわ。 |
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ふむふむ。 従軍慰安婦問題か・・・なかなかセンシティブな問題だね。 |
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そうね。 ただ日本史の勉強会じゃないし、歴史認識を考察する目的での勉強会でもないから、ここで、この問題について考えることはしないことにするわ。 それぞれのこの問題についての知識や認識もあることでしょうし、私見を差し挟むのは遠慮するわね。 この事件について、山口地裁下関支部は、次のような判断を下したわ。 『立法不作為による国家賠償請求について 1 原告らは、日本国憲法前文、9条、14条、17条、29条1項及び3項、40条及び98条2項の各規定を総合すれば、憲法解釈上、被告国会議員らに対し、帝国日本による侵略戦争及び植民地支配により被害を被った個人への戦後賠償ないし補償を行う立法を制定すべき義務が課されていることは明らかであるにもかかわらず、同国会議員らは戦後50年を経た今日に至るまでかかる立法をしないまま放置してきたのであるから、右の立法をなすべき合理的期間を十分徒過している上、少なくともこのことにつき過失があったといえるとして、予備的に、立法不作為に基づく国家賠償請求として、国家賠償法1条1項、4条、民法723条の適用により、公式謝罪及び損害賠償を求めることができると主張する。 2 ところで、いわゆる立法不作為による国家賠償請求については、当事者双方が援用する最高裁昭和60年11月21日第一小法廷判決(民集三九巻七号一五一二頁)があり、同判決が法的判断の枠組みを規定するというべきところ (一)同判決には 国家賠償法1条1項は、公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに、国又は公共団体がこれを賠償する責めに任ずることを規定するものであるから、国会議員の立法行為(立法不作為を含む。以下同じ。)が国家賠償法上違法となるかどうかは、国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したかどうかの問題であって、当該立法の内容の違憲性の問題とは区別されるべきであるとの前提のもとに、国会議員が立法に関し個別の国民に対する関係においていかなる義務を負うかについては、憲法の採用する議会制民主主義の下においては、国会は、国民の間に存する多元的な意見及び諸々の利益を立法過程に公正に反映させ、議員の自由な討論を通してこれらを調整し、究極的には多数決原理により統一的な国家意思を形成すべき役割を担うものであり、国会議員は、多様な国民の意向をくみつつ、国民全体の福祉の実現を目指して行動することが要請されているのであって、議会制民主主義が適正かつ効果的に機能することを期するためにも、国会議員の立法過程における行動で、立法行為の内容にわたる実体的側面に係るものは、これを政治的判断に任せ、その当否は終局的に国民の自由な言論及び選挙による政治的評価にゆだねるのを相当とすること、立法行為の規範たるべき憲法についてさえ、その解釈につき国民の間には多様な見解があり得るのであって、国会議員は、これを立法過程に反映させるべき立場にあること、憲法51条が、国会議員の発言・表決につきその法的責任を免除しているのも、国会議員の立法過程における行動は政治的責任の対象とするのにとどめるのが国民の代表者による政治の実現を期するという目的にかなうとの考慮によること、このように、国会議員の立法行為は、本質的に政治的なものであって、その性質上法的規制の対象になじまず、特定個人に対する損害賠償責任の有無という観点からあるべき立法行為を措定して具体的立法行為の適否を法的に評価するということは、原則的には許されないものといわざるを得ないと論決した上、結論として、「国会議員は、立法に関しては、原則として、国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではないというべきであって、国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法1条1項の規定の適用上、違法の評価を受けないものといわなければならない。」 以上のとおりの判示がある。』 と先ず述べているわ。 ここで示されている最高裁昭和60年11月21日第一小法廷判決というのは、以前の勉強会で検討した在宅投票制度廃止事件最高裁判決の規範よね。 まぁ、復習を兼ねて、再度ここで読む機会を得ようって意味で、判決文を引用したわけなんだけど。 |
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・・・まだ本件事件については判決文は来てないのに、既に疲れてきてもぉたお。 | ||
そして、本件事案についての判断が続くわ。 『一般に、国家がいつ、いかなる立法をすべきか、あるいは立法をしないかの判断は、国会の広範な裁量のもとにあり、その統制も選挙を含めた政治過程においてなされるべきであることは、日本国憲法の統治構造上明らかであるから、当裁判所もまた基本的には右最高裁判決と意見を同じくする。 (2)しかし、右結論部分における「例外的な場合」についてはやや見解を異にし、立法不作為に関する限り、これが日本国憲法秩序の根幹的価値に関わる基本的人権の侵害をもたらしている場合にも、例外的に国家賠償法上の違法をいうことができるものと解する。』 『少なくとも憲法秩序の根幹的価値に関わる人権侵害が現に個別の国民ないし個人に生じている場合に、その是正を図るのは国会議員の憲法上の義務であり、同時に裁判所の憲法上固有の権限と義務でもあって、右人権侵害が作為による違憲立法によって生じたか、違憲の立法不作為によって生じたかによってこの理が変わるものではない。 ただ、立法権、司法権という統治作用ないし権限の性質上の差異や、国会、裁判所という機構ないし能力上の差異によって自ずとその憲法上の権限の範囲やその行使のあり方が定まり、裁判所にあっては、積極的違憲立法についての是正権限は右人権侵害以上に広く、消極的違憲の立法不作為についての是正権限は右根幹的価値に関わる人権侵害のごとく、より狭い範囲に限られることになると解されるのであるが、逆に、積極的違憲立法の是正については、当該法令のその事案への適用を拒否することによって簡明に果たされるのに対し、消極的違憲の立法不作為については、その違憲確認訴訟を認めることに種々の難点があることから、国家賠償法による賠償を認めることがほとんど唯一の救済方法になるともいえるのであって、その意味では、むしろ、立法不作為にこそ違法と認める余地を広げる必要もある。』 『このように、立法不作為を理由とする国家賠償は、憲法上の国会と裁判所との役割分担、憲法保障という裁判所固有の権限と義務に関することがらであり、国会議員の政治的責任に解消できない領域において初めて顕在化する問題というべきであって、これが国家賠償法上違法となるのは、単に、「立法(不作為)の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行う(行わない)というごとき」場合に限られず、次のような場合、すなわち、前記の意味での当該人権侵害の重大性とその救済の高度の必要性が認められる場合であって(その場合に、憲法上の立法義務が生じる。)、しかも、国会が立法の必要性を十分認識し、立法可能であったにもかかわらず、一定の合理的期間を経過してもなおこれを放置したなどの状況的要件、換言すれば、立法課題としての明確性と合理的是正期間の経過とがある場合にも、立法不作為による国家賠償を認めることができると解するのが相当である。』 としているわね。 |
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へぇ〜、この判決文は、立法不作為による国賠請求を認めているんだ。 | ||
そうね。 ここで言及されているわけなんだけど、 『国家賠償法上違法となるのは、単に、「立法(不作為)の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行う(行わない)というごとき」場合に限られず、次のような場合、すなわち、前記の意味での当該人権侵害の重大性とその救済の高度の必要性が認められる場合であって(その場合に、憲法上の立法義務が生じる。)』 という部分が大事よね。 昭和60年判決の事案は、選挙権という憲法上の権利(Aの類型の権利)を争った事案だったわ。 これに対して、本件では、人身の自由という憲法上の権利(@の類型の権利)を争っているわけよね。 そのため、そのような権利侵害については 『当該人権侵害の重大性とその救済の高度の必要性が認められる場合』 という認定がなされているわ。 同じ昭和60年判決の規範を立てていても、憲法上の権利の性質が違うと、その見方が変わる、その結果、結論も変わる、ということよね。 |
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成る程、成る程。 やっぱり抽象的な議論だけされても、ナニ言ってんだ、コイツ。 って感じだけど、こうやって具体的な事案を聴くとワカリやすいね。 |
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・・・議論の前提となる理解を先に示しただけじゃないのよ。 逆に、前提抜きに判例見ても、どこを見ればいいのかワカラナイんじゃなくって? |
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でも、この事件では原告の方の請求が認められたんですね。 | ||
あ、ソレは違うわね。 一審では原告の請求が一部認容という形で認められたわけだけど、控訴審では取り消されて、その後、上告がなされるも、最高裁で控訴棄却されたから、これにより原告側の敗訴が確定してるわね。 |
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なんか在宅投票制度廃止事件と似てるね。 あの事件でも、一審では原告の請求が認められていたもんね。 うーん、つまり、一審で請求が認められたと思っても、三審制だから最後までワカラナイってことか・・・まぁ、野球も『9回2アウトから』って言うかんね! |
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あんたの応援する広島は、抑え投手の防御率見れば、その言葉がシックリ来るでしょうけど、なかなか9回2アウトなんて絶望的な状況からの逆転は、そうそうないじゃないのよ! その例えは微妙な気がするわねぇ。 |
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・・・。 (ムキッ!! おまえんとこ(=巨人)の抑えの筋肉だって、某幕張の防波堤並みの劇場型じゃないかお! 偉そうに、他人のとこの抑えを言えた口かお! ) |
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はい、それじゃ軽いジャブは済んだってことで、今日のメイン検討判例にいくわね。 検討判例は、熊本ハンセン病訴訟になるわ。 (熊本地裁平成13年5月11日 百選U 198事件) |
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立法不作為については、以前見た判例と共に、しっかり見て復習しておいて欲しいわ。 先ずは昭和60年判決。 そして、その後の最高裁は否定しているものの実質的な判例変更とも評される平成17年判決。 そして、その後検討した最判平成18年7月13日よね。 勉強会では取り上げていないけれど、他にも見るべき判例としては、前回の訴訟方法でも話した行政訴訟法4条の事案として、成年被後見人に選挙権を否定する公職選挙法の合憲性が争われた東京地裁平成25年3月14日判決、国賠の事案としては、受刑者に対する選挙権制限の合憲性が争われた大阪高裁平成25年9月27日判決等があるわね。 この大阪高裁平成25年9月27日判決の第一審(大阪地裁平成25年2月6日判決)では、否定側からのロジックもワカルところだから、見ておくと勉強になるかもね。 |
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光ちゃん、判例を随分読んでいるんですね。 | ||
サルの映画やアニメじゃないけれど、私、基本書や判例読むのが好きだからね。 ついつい色々見ちゃうのよね。 |
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野次馬根性丸出しってことだよね! |
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違いますぅ! あくまでも向学心からですぅっ!! |
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いやはや、明智財閥の御嬢様が、下衆な野次馬根性の塊だとは。 あたしのような文芸、文化を愛する高尚な趣味とは隔絶したもんがあるよねぇ。 一体、どんな目線で判決文を読んでいるのやら・・・いやはや。 |
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・・・。 (これだけお世話になっていて、よくここまで悪口が言えるものです。 一体、どんな目線で勉強会に参加しているのか・・・いやはや、は藤先輩の方です・・・。) |