判断過程審査A 剣道実技拒否事件

  ・・・・・。
(どうしてこうなった!?
 どうしてこうなった!?)
次回の勉強会の担当は、藤さんってことですけど、なんの問題もないですよね。  
・・・お、お、おう!
(問題があり過ぎて、最早、問題そのものだからね!
 敢えて問題を抽出することが出来ない、という意味でなら問題はないおね! )
ひょっとして・・・ですけれど。   
あ・・・。
(あたしが勉強会担当にビビッていることバレちゃったかな?)
藤さん・・・。
お寒いんじゃないですか?
先ほどから、小刻みに震えてみえますけど。
やっぱり、この季節にTシャツ1枚は、いくらなんでも無理されてみえるように思えるんですけど。  
コレは、仕様だから!!
ぶっちゃけ、季節変更のたびに衣替えするのは、アイコン用意せんといかんから無理があるんだお!!
・・・とメタ発言はそこまでにして。
(・・・このメガネ、相変わらず鈍いなぁ。
 しかし、それなら、ここはメガネの力を借りるしかないお! ) 
  いやぁ、でも参ったなぁ。
勉強会の担当なんて・・・。
ナニか問題が? 
 
ぶっちゃけ、あたしの理解だと、ナニがワカラナイのかがワカラナイんだよねぇ。
どこまで説明したもんだか、正直、その判断ラインが想像できないんだよねぇ。
(まぁ、嘘は言ってないよね。ナニがワカラナイのかも、あたしはワカラナイんだしw)
流石、お出来になる藤さんは、悩みも私達とは次元が違うんですね。
それじゃ、今日は私を相手に予行練習をされるというのは、いかがでしょうか?  
成程っ!
ソレは名案だお!
ソレじゃ、あたしはナカたんに徹してみるから、クロちゃんは、あたし目線で説明してみてくれるかな?
え?
ソレなら逆にした方がよくないでしょうか?  
藤さんが予行練習で説明されるのを、私が竹中さん視線で質問させて頂くって形にした方が、いいように思うんですけれど。
いやいや、ナカたんとの付き合いは、あたしの方が長いからね。
ソコは、バッチリ任せて欲しいって思ってね。
そ、そういうことでしたら、私が藤さんとして説明させて頂きますね。
で、でも、藤さんの理解には及ばないという点は御容赦下さいね?

えーっと、次回の勉強会のテーマは、今日の勉強会で学んだ判断過程審査と、従来の判例に多く見られた社会観念審査との接続という論点に踏み込むと思うんですよね。  
言っていることが、いきなり難しくってワカラナイです!
え?   
あ、違う、違うよ?
勿論、あたしはワカッテいるよ?
ただ、ナカたんはどうかなぁ?
その説明で大丈夫かなぁ?
って思って、ナカたんの真似して聞いてみたわけ。
す、すみません。
竹中さんに理解してもらえるような説明を・・・ってことですよね。

裁量処分の審査方式には、社会観念審査と、判断過程審査とがある、という点については勉強しましたよね。

このうち、裁量処分の結果に着目して、「社会観念上、著しく妥当性を欠く」かどうかを審査するのが社会観念審査

そして、裁量処分をする行政の判断形成過程に着目して、その合理性の有無という観点から審査するのが判断過程審査

でしたよね。

従来の判例は、一般に、この社会観念審査方式のものが多いんです。

しかし、今の説明からも分かるように、社会観念審査は結果に着目した審査方式であるのに対し、判断過程審査は、処分に際しての判断形成過程に踏み込んで審査をしているということから、より裁量処分の審査としてはきめ細かい審査方式であるといえます。

そこで、この両者を接続(連結)させた、より発展的な審査方式が、近年の判例では見られるようになっているため、これらの判例について検討するという流れになるのではないかと思うんです。
うーんっと。つまり・・・。
社会観念審査判断過程審査の、ドッキング審査判例を見るってことだね! 
ドッキング審査ですか。
あまり耳慣れない言葉ですけど、まぁ、そうですよね。
じゃあ、せっかくなので、今日の予行練習では、そのドッキング審査って名前を使わせて頂きますね。  

えーっと、このドッキング審査をとった判例として、光ちゃんも絶対に検討すると思われるのは、剣道実技拒否事件でしょうね。

この判例は、行政法判例としてだけではなく、憲法判例としても非常に有名な重要判例なんですよね。
 学校教育における信教の自由の保障が争われた事案として)
うんうん。
アレね、アレ。
むっちゃ有名だけど、ナカたんはどうかな?
一応、しっかり説明しとくべきだおね、ソコんとこも。 
流石、藤さんです。いつもお優しいですよね!

剣道実技拒否事件ですが。
最判平成8年3月8日 百選T 84事件

事案を説明しますと・・・

神戸高専に在学していた生徒の方がエホバの証人」の信者だったんです。同校では、1年生の体育科目として剣道を採用していたのですが、この信者の方は、格技である剣道の実技への参加は、自らの宗教的信条と相容れないという理由で、剣道実技への参加を拒否し、その代替措置としてレポート提出を認めて欲しいと申し入れたんですね。

しかし、この申し入れに対して、学校側は代替措置をとらず、そのため、この信者の方は体育科目が不認定となってしまい、原級留置処分(いわゆる留年)を受けることとなってしまったのです。

翌年も同じことが繰り返され、この信者の方は再度原級留置処分を受けることとなりました。
この結果を受けて、学校側は退学事由である「学力劣等で成業の見込みがないと認められる者」に該当するとして、この信者の方に退学処分を下しました。

そこで、この信者の方は、神戸高専がなした原級留置処分と退学処分との取消を求めて訴えたんです。

尚、この訴えに対し、一審請求棄却(信者の方の敗訴)。
二審は、請求認容(信者の方の勝訴)という裁判所の判断が下されました。
二審で敗訴した神戸高専側が、最高裁上告した・・・という事案です。
うーん、宗教的信条っていうのは、あたしにはよくワカラナイけれど、広島カープファンのあたしに対して、巨人を応援しなかったら単位あげないって言ってるみたいなもんなのかな?
だとしたら、激しく許せないことな気がするなぁ・・・。
藤さんの広島カープへの愛は情熱的ですからね。
竹中さんの横浜への愛も、同じくらい熱いものだと思いますから、きっと、その表現でも伝わると思いますよ?

この判例で学びたいことは、先に説明させていただきました社会観念審査判断過程審査・・・あ、ドッキング審査でしたっけ?
ドッキング審査の審査方法ですよね。

とりあえず、今日は予行練習ってことで、判決文をじっくり見て、藤さんが説明されるにあたって抽出されるところを、一緒に検討することにさせて下さい。
  うむ。
くるしゅうないぞ。
最高裁は、次のように述べています。

『高等専門学校の校長が学生に対し原級留置処分又は退学処分を行うかどうかの判断は、校長の合理的な教育的裁量にゆだねられるべきものであり、裁判所がその処分の適否を審査するに当たっては、校長と同一の立場に立って当該処分をすべきであったかどうか等について判断し、その結果と当該処分とを比較してその適否、軽重等を論ずべきものではなく、校長の裁量権の行使としての処分が、全く事実の基礎を欠くか又は社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超え又は裁量権を濫用してされたと認められる場合に限り、違法であると判断すべきものである。』

〜中略〜『しかし、退学処分は学生の身分をはく奪する重大な措置であり、学校教育法施行規則13条3項も四個の退学事由を限定的に定めていることからすると、当該学生を学外に排除することが教育上やむを得ないと認められる場合に限って退学処分を選択すべきであり、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要するものである。

 また、原級留置処分も、学生にその意に反して一年間にわたり既に履修した科目、種目を再履修することを余儀なくさせ、上級学年における授業を受ける時期を延期させ、卒業を遅らせる上、神戸高専においては、原級留置処分が二回連続してされることにより退学処分にもつながるものであるから、その学生に与える不利益の大きさに照らして、原級留置処分の決定に当たっても、同様に慎重な配慮が要求されるものというべきである。

 そして、前記事実関係の下においては、以下に説示するとおり、本件各処分は、社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超えた違法なものといわざるを得ない。

 公教育の教育課程において、学年に応じた一定の重要な知識、能力等を学生に共通に修得させることが必要であることは、教育水準の確保等の要請から、否定することができず、保健体育科目の履修もその例外ではない。

 しかし、高等専門学校においては、剣道実技の履修が必須のものとまではいい難く、体育科目による教育目的の達成は、他の体育種目の履修などの代替的方法によってこれを行うことも性質上可能というべきである。

 他方、前記事実関係によれば、被上告人が剣道実技への参加を拒否する理由は、被上告人の信仰の核心部分と密接に関連する真しなものであった。

 被上告人は、他の体育種目の履修は拒否しておらず、特に不熱心でもなかったが、剣道種目の点数として三五点中のわずか二・五点しか与えられなかったため、他の種目の履修のみで体育科目の合格点を取ることは著しく困難であったと認められる。

 したがって、被上告人は、信仰上の理由による剣道実技の履修拒否の結果として、他の科目では成績優秀であったにもかかわらず、原級留置、退学という事態に追い込まれたものというべきであり、その不利益が極めて大きいことも明らかである。

 また、本件各処分は、その内容それ自体において被上告人に信仰上の教義に反する行動を命じたものではなく、その意味では、被上告人の信教の自由を直接的に制約するものとはいえないが、しかし、被上告人がそれらによる重大な不利益を避けるためには剣道実技の履修という自己の信仰上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせられるという性質を有するものであったことは明白である。

 上告人の採った措置が、信仰の自由や宗教的行為に対する制約を特に目的とするものではなく、教育内容の設定及びその履修に関する評価方法についての一般的な定めに従ったものであるとしても、本件各処分が右のとおりの性質を有するものであった以上、上告人は、前記裁量権の行使に当たり、当然そのことに相応の考慮を払う必要があったというべきである。

 また、被上告人が、自らの自由意思により、必修である体育科目の種目として剣道の授業を採用している学校を選択したことを理由に、先にみたような著しい不利益を被上告人に与えることが当然に許容されることになるものでもない。

 被上告人は、レポート提出等の代替措置を認めて欲しい旨繰り返し申入れていたのであって、剣道実技を履修しないまま直ちに履修したと同様の評価を受けることを求めていたものではない。

 これに対し、神戸高専においては、被上告人ら「エホバの証人」である学生が、信仰上の理由から格技の授業を拒否する旨の申出をするや否や、剣道実技の履修拒否は認めず、代替措置は採らないことを明言し、被上告人及び保護者からの代替措置を採って欲しいとの要求も一切拒否し、剣道実技の補講を受けることのみを説得したというのである。

 本件各処分の前示の性質にかんがみれば、本件各処分に至るまでに何らかの代替措置を採ることの是非、その方法、態様等について十分に考慮するべきであったということができるが、本件においてそれがされていたとは到底いうことができない。

 所論は、神戸高専においては代替措置を採るにつき実際的な障害があったという。
 しかし、信仰上の理由に基づく格技の履修拒否に対して代替措置を採っている学校も現にあるというのであり、他の学生に不公平感を生じさせないような適切な方法、態様による代替措置を採ることは可能であると考えられる。

 また、履修拒否が信仰上の理由に基づくものかどうかは外形的事情の調査によって容易に明らかになるであろうし、信仰上の理由に仮託して履修拒否をしようという者が多数に上るとも考え難いところである。

 さらに、代替措置を採ることによって神戸高専における教育秩序を維持することができないとか、学校全体の運営に看過することができない重大な支障を生ずるおそれがあったとは認められないとした原審の認定判断も是認することができる。
 そうすると、代替措置を採ることが実際上不可能であったということはできない。

 所論は、代替措置を採ることは憲法20条3項に違反するとも主張するが、信仰上の真しな理由から剣道実技に参加することができない学生に対し、代替措置として、例えば、他の体育実技の履修、レポートの提出等を求めた上で,その成果に応じた評価をすることが、その目的において宗教的意義を有し、特定の宗教を援助、助長、促進する効果を有するものということはできず、他の宗教者又は無宗教者に圧迫、干渉を加える効果があるともいえないのであって、およそ代替措置を採ることが、その方法、態様のいかんを問わず、憲法20条3項に違反するということができないことは明らかである。

 また、公立学校において、学生の信仰を調査せん索し、宗教を序列化して別段の取扱いをすることは許されないものであるが、学生が信仰を理由に剣道実技の履修を拒否する場合に、学校が、その理由の当否を判断するため、単なる怠学のための口実であるか、当事者の説明する宗教上の信条と履修拒否との合理的関連性が認められるかどうかを確認する程度の調査をすることが公教育の宗教的中立性に反するとはいえないものと解される。

 これらのことは、最高裁昭和四六年(行ツ)第六九号同五二年七月一三日大法廷判決・民集三一巻四号五三三頁の趣旨に徴して明らかである。

 以上によれば、信仰上の理由による剣道実技の履修拒否を、正当な理由のない履修拒否と区別することなく、代替措置が不可能というわけでもないのに、代替措置について何ら検討することもなく、体育科目を不認定とした担当教員らの評価を受けて、原級留置処分をし、さらに、不認定の主たる理由及び全体成績について勘案することなく、二年続けて原級留置となったため進級等規程及び退学内規に従って学則にいう「学力劣等で成業の見込みがないと認められる者」に当たるとし、退学処分をしたという上告人の措置は、考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮された事実に対する評価が明白に合理性を欠き、その結果、社会観念上著しく妥当を欠く処分をしたものと評するほかはなく、本件各処分は、裁量権の範囲を超える違法なものといわざるを得ない。』
  ・・・・・。
(な、な、なっげぇっ!!)
さて、藤さん。
原判決文から、どのあたりを抽出しましょう。 
 
ちょいちょいちょいっ!!
あたしは、今はナカたんって言ったじゃない。
ソコは、あたしに成りきって、しっかりやってくれなきゃダメだよ、クロちゃんも! 
あ、すみません、目の前に藤さんがみえたもので、つい配役を失念してしまっていました。
それじゃ、私が藤さんってことで進行するように致しますね。

えーっと、結論から言いますと、判決文からも分かるように行政側の敗訴という結果になっているんですよね。

それじゃ、判決文を頭から見ていくことにしますね。

まず冒頭で
高等専門学校の校長が学生に対し原級留置処分又は退学処分を行うかどうかの判断は、校長の合理的な教育的裁量にゆだねられるべきものであり
として、すっごくアッサリと裁量認定をしちゃっていますよね。

コレは判決文ですから問題ないわけですけれど、私達が答案で書く際には、裁量認定はしっかりしないといけないですよね。

おそらく試験で問われるような場合には関連法令も資料として与えられることと思いますから、裁量認定に際しては、関連法令から、その根拠を示すことが大事ですよね。 
  だおだお。
そして、続いて規範を示しています。
判決文から抽出しますと

裁判所がその処分の適否を審査するに当たっては、校長と同一の立場に立って当該処分をすべきであったかどうか等について判断し、その結果と当該処分とを比較してその適否、軽重等を論ずべきものではなく、校長の裁量権の行使としての処分が、全く事実の基礎を欠くか又は社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超え又は裁量権を濫用してされたと認められる場合に限り、違法であると判断すべきものである。

と述べている部分が、本判決規範部分になりますね。 

この規範ですけれど、以前の勉強会で検討した神戸税関事件規範とよく似た規範を示しているんですよね。

因みに、コチラが神戸税関事件での規範です。

裁判所が右の処分の適否を審査するにあたつては、懲戒権者と同一の立場に立つて懲戒処分をすべきであつたかどうか又はいかなる処分を選択すべきであつたかについて判断し、その結果と懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきものではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法であると判断すべきものである。
ってことは、社会観念審査規範を示しているってことだね?
そうです!
本判決規範は、まさに社会観念審査の規範同じものなんですよね。

そして、処分の性質について次に述べています。
判決文ですと

退学処分は学生の身分をはく奪する重大な措置であり、学校教育法施行規則13条3項も四個の退学事由を限定的に定めていることからすると、当該学生を学外に排除することが教育上やむを得ないと認められる場合に限って退学処分を選択すべきであり、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要するものである。

 また、
原級留置処分も、学生にその意に反して一年間にわたり既に履修した科目、種目を再履修することを余儀なくさせ、上級学年における授業を受ける時期を延期させ、卒業を遅らせる上、神戸高専においては、原級留置処分が二回連続してされることにより退学処分にもつながるものであるから、その学生に与える不利益の大きさに照らして原級留置処分の決定に当たっても、同様に慎重な配慮が要求されるものというべきである。

と述べているところですよね。

この処分の性質という点についても、答案では、しっかり書きたいところですよね。
処分を受ける相手方にとって、利益的なものなのか、不利益的なものなのか
そして、処分の性質から、どのような判断が行政側には求められるのか、という論旨展開ですよね。
  だおだお。 
そして、次に抽出する部分が大事になってくるわけですけれど。

原告となった信者の方は、剣道実技を拒否する代替措置として、レポート等の提出を申し入れていましたよね。
それなのに、学校側は、その申し入れに対して代替措置を講じようとはしなかったわけです。
この点について最高裁は、次のように述べています。

神戸高専においては、被上告人ら「エホバの証人」である学生が、信仰上の理由から格技の授業を拒否する旨の申出をするや否や、剣道実技の履修拒否は認めず、代替措置は採らないことを明言し、被上告人及び保護者からの代替措置を採って欲しいとの要求も一切拒否し、剣道実技の補講を受けることのみを説得したというのである。

 本件各処分の前示の性質にかんがみれば、
本件各処分に至るまでに何らかの代替措置を採ることの是非、その方法、態様等について十分に考慮するべきであったということができるが、本件においてそれがされていたとは到底いうことができない

ここでは、本来考慮すべきことを考慮していないよね?
って話をしているわけですけど。
コレって、つまり・・・。
あぁあぁぁ・・・アレだ・・・アレ!
えーっと、そうそう、考慮不尽
たしか、なんだっけ・・・
そうだ、判断過程審査考慮事項にあったよね?
そうです。
判断過程審査考慮不尽ですよね。

そして、最後にこう述べています。

代替措置が不可能というわけでもないのに、代替措置について何ら検討することもなく、体育科目を不認定とした担当教員らの評価を受けて、原級留置処分をし、さらに、不認定の主たる理由及び全体成績について勘案することなく、二年続けて原級留置となったため進級等規程及び退学内規に従って学則にいう「学力劣等で成業の見込みがないと認められる者」に当たるとし、退学処分をしたという上告人の措置は、考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮された事実に対する評価が明白に合理性を欠き、その結果、社会観念上著しく妥当を欠く処分をしたものと評するほかはなく、本件各処分は、裁量権の範囲を超える違法なものといわざるを得ない

ここでは、また『社会観念上著しく妥当を欠く処分』という言い回しをしています。
この言い回しは、社会観念審査のものですよね。 
ということは・・・。

社会観念審査規範を述べて・・・。
判断過程審査審査方法を取り入れて・・・。
社会観念審査の『社会観念上著しく妥当を欠く処分』であるという結論を導いているってこと?
そうです、そうです!
その通りです!! 
 
よっしゃぁっ!
クロちゃん、いい説明だったお!
いやぁ、お陰で、あたしもバッチリ、この判例が理解できたお!
え?
藤さんは、最初っから御理解されてみえるじゃないですか。 
 
え?
あ・・・いや、えーっと。
そ、そうだお!
ナカたんとしての、あたしが理解できたって意味だよ?
モチロン!!
因みに、判断過程審査をとったLCとされる日光太郎杉事件では、最後は、このように述べているんですよね。

その裁量判断の方法ないし過程に過誤があり、これらの過誤がなく、これらの諸点につき正しい判断がなされたとすれば、控訴人建設大臣の判断は異なつた結論に到達する可能性があつたものと認められる。
 してみれば、本件事業計画をもつて土地の適正かつ合理的な利用に寄与するものと認められるべきであるとする控訴人建設大臣の判断は、その裁量判断の方法ないし過程に過誤があるものとして、違法なものと認めざるをえない。

これに対して本判決

退学処分をしたという上告人の措置は、考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮された事実に対する評価が明白に合理性を欠き、その結果、社会観念上著しく妥当を欠く処分をしたものと評するほかはなく、本件各処分は、裁量権の範囲を超える違法なものといわざるを得ない。

としているんですよね。
日光太郎杉事件では、あくまでも判断過程審査であって、処分の結果を判断しているわけではないため
異なった結論に到達する可能性があったものと認められる
というに留まっているわけですけれど、本判決では、処分がなされたものであることから、その結果に着目して、
その結果、社会観念上著しく妥当を欠く処分をした
としていますよね。

このあたりの違法の問い方も、抑えておきたいところですよね。
  だおだお。 
だお・・・だお?
よ、よく分かりませんけど、それは相槌だと思っていいんですよね?  
うんうん。
いやぁ、スバラっ!
ドッキング審査が、よくワカッタ。
コレなら、次回の勉強会もバッチリだお!
うーん、どうでしょう。
最新版(6版)の判例百選には、もう一つ重要判例が掲載されているんですよね。 
呉市学校施設使用不許可事件っていうんですけれど・・・。
光ちゃんのことですから、きっと、この判例も検討するって可能性は捨てきれないですよね。 
  え?
マヂで!?
でも、藤さんも当然ご存知でしょうから、別に問題はないですよね。  
いやぁ、あるでしょ、ソレ。
(っていうか、知らねぇーお。
 なんで、同じような論点に、重要判例が2つもあるんだお。)
検討されます?   
  しといた方がいいよね?
やっぱ。
そうですよね!
勉強が誰よりもお好きな藤さんのことですから、そう言われると思っていました。 
ほえ?
(「勉強が誰よりもお好きな藤さん」?
 ソレは誰のことだお? 同名の赤の他人の可能性濃厚だお。) 
あ、それじゃ勉強会の続きをされるのなら、ちょっとコーヒーを淹れてきていいでしょうか? 
恥ずかしいんですけれど、私、藤さんと違って、集中力が切れてしまったもので。 
はいはい、いってら、いってらぁ。
(・・・あたし、クロちゃんが判決文読んでたあたりから、もう集中力切れているんだけど、コレ接続不可やで?) 

新着情報