公金支出の禁止A 
財政の勉強会の第3回・・・。
そして財政の勉強会は今回が最終回になるわ。
  え!?
マヂ!?
   満面の笑みです・・・。
そうね。
ナニ、その笑顔は・・・ホントにサルはもうっ!

えーっと、それじゃ、憲法89条を再度確認しておきましょうか。
日本国憲法第89条

日本国憲法第89条 【公の財産の支出又は利用の制限】
 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業の対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
この公金支出の禁止を規定した憲法89条は、前段部分後段部分とに分けられるってことで、前回の勉強会では『宗教上の組織若しくは団体への公金支出を禁止した前段部分を見たわけよね。

今回は、後段部分を見ていくことにするわね。

後段部分
公金その他の公の財産は』『公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
として、慈善、教育、博愛事業に対しての公金支出を禁止しているのよね。
え?
そりゃまた、なんで?
ドレも、いいことなんだし公金つかっても、いいんじゃないの?
そこで、89条後段立法趣旨が問題となるわけね。

何故憲法89条後段公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対しての公金支出を禁止しているのか
という問題ね。

この立法趣旨については学説上の争いがあるところだけど、大きくは次の3説が挙げられるわね。

@公費濫用防止説
A自主性確保説
B中立性確保説


説になるわ。

それぞれの考え方を紹介すると

@公費濫用防止説は、憲法89条後段は、教育等の私的事業に対して公金支出を行う場合には、財政民主主義の立場から、公費の濫用をきたさないように当該事業を監督すべきことを要求する趣旨である、と説くわ。

A自主性確保説は、憲法89条後段の趣旨を、教育等の私的事業の自主性を確保するために公権力による干渉の危険を除こうとすることに求めるわ。

B中立性確保説によれば、憲法89条後段の趣旨は政教分離原則の補完にあり、私人が行う教育等の事業は特定の宗教的信念に基づくことが多いので、宗教や特定の思想信条が、国の財政的援助によって教育等の事業に浸透するのを防止するところにあるとされるわね。
むむむむ・・・。
なんかドレも納得でけてまうなぁ。
それはあるかもね。

ただ、@の考えを軸に、AB掛け合わせた考え方もあるところだから、ここは@公費濫用防止説で抑えておけば、いいと思うわ。
成程、成程ぉ。
国の大切なお金なんだから、むやみやたらに使うんじゃねぇよ、ってことだね。
なんて乱暴な抑え方かしら。
あんた、変わらないわねぇ。

上記の考え方を前提として、次に89条にいう『公の支配の意味が問題となるのよね。

憲法89条後段
公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業
と規定しているわよね。

ここにいう『公の支配とは、どのような意味をもつのか、という問題ね。
NPBの日本ハムのことを『』って呼んだりすんだよね。
ソレは『』って漢字を縦に2つに分解すると「ハム」になるからなんだよね。
だから『公の支配』ってことは、日本ハムの一軍支配下選手のことを意味するね。
  もぉっ!
オネーちゃんは黙っててよ!!
ホントにそうよね。
あんた、口を開くと、文句か横槍って、どんだけ傍迷惑な生き方してんのよ。

この『公の支配の意味を、どう解すべきか、ってことで学説上争いがあるのよね。

@厳格説
  と
A緩和説

説があるわ。
なんか名前から、ある程度察しはついちゃうね。
そうよね。

@厳格説は『公の支配の意味を、名前どおりに厳格に解しようという考え方になるわ。
つまり、この考え方によれば『公の支配とは、国または地方公共団体が、その事業の根本的な方向に重大な影響を及ぼすことができる権力を有すること、と理解されることとなるわ。
この考え方は、先のA自主性確保説と結びつきやすい考え方といえるわね。

ただ、先の憲法89条後段立法趣旨@公費濫用防止説で抑えて欲しいって話をしたわよね。
この@公費濫用防止説を前提として、A緩和説とは
『公の支配』の意義をゆるやかにとらえることを通じて合憲論を主張するものである。
 そのさい、多くの学者は、89条後段は14条や26条などの規定の体系的連関のうちにーーすなわちそれらの規定の趣旨の実現を図るためにーー目的論的に解釈されるべきである、と論じている。
 この説は、私立学校が『公の支配』に属したといえるための要件(ないし根拠)として、私学が教育関係法規により規律を受けており公の性質をもつことをあげたり、それにくわえて、私学が公費助成の条件として一定の監督に服することをあげたりしている

内野正幸『憲法解釈の論点【第4版】』日本評論社 2005年 183頁)
と説明されるわね。
日本ハムは、翔さんの首のネックレスとか見てもワカルように、あんま規律が厳しくなさそうだよね。
だから、緩和説っぽいよね。うんうん。
ナニが「だから」なのか、ちっともワカラナイです。
スルーしちゃっていいわよ、ナカちゃん。

えーっと、この問題と関連して見ておくべき裁判例としては
幼児教室事件
東京高判平成2年1月29日 百選U206事件
ね。

おそらく行政法で、しっかり検討することになると思うから、ここでは、判決文の簡単な紹介だけに留めるわね。

事案を掻い摘んで話すと、公立幼稚園の設置の請願を受けて、当時の埼玉県吉川町では、町議会で検討するんだけれど、財政的理由から開設は無理という判断を下したのよね。

ただ、付近の母親数名による教育保育を目的とした幼児教室の開設に積極的に協力することを議決したわ。

そして、この権利能力なき社団である幼児教室に対して、教室用地となる土地を無償で使用させたり、助成金として公金(258万円程)を支出したのね。

これに対して、吉川町の住民らが、この幼児教室は、憲法89条にいう『公の支配に属さないものであることから、そのような幼児教室に対する公金支出は憲法89条違反であるとして訴えた、という事案なの。
  なんか悲しい事件です・・・。
あ、あまり感情移入しないようにね!
それじゃ、判決文を見ることにしましょうか。
見て欲しいのは、今日の勉強会で学んだ憲法89条後段の立法趣旨、そして、憲法89条にいう公の支配の意味を、判例はどのようにとらえているのか、という点についてね。
あ、ついでに憲法89条にいう『教育の事業の定義も、判決文では述べられているから見ておいてね。

本件教室の事業は、その内容の決定につき、総会や運営委員会を通じて保護者の関与が広く認められていること、幼児が本件教室に通うのは週六日であり、一日の時間は、週のうち五日は五時間一五分、うち二日は三時間三〇分であることなど、学校教育法による幼稚園と若干は異なる部分があるが、幼稚園とほぼ同じように幼児を保育しているものであって、幼児を保育し、集団的な環境の下で、その心身の発達を助長することを目的とするものであること、本件契約により、本件建物及び本件土地が右の目的のために利用され、本件補助金が右の目的のために支出されたことが認められ、これを左右するに足りる証拠はなく、保育とは、幼児に対する保護と教育の有機的一体の働きと解されるところ、憲法89条に規定する教育の事業とは、「人の精神的又は肉体的な育成をめざして人を教え、導くことを目的とする組織的、継続的な活動」をいうのであって、前示の認定事実によれば、本件教室の事業は右の教育の事業に当たると解されるから、本件不動産が本件教室の教育の事業に利用され、本件支出がその教育の事業のためになされたことは明らかである。

2 ところで、憲法89条は、公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。と規定する。
 そして、同条前段については、国家と宗教の分離を財政面からも確保することを目途とするものであるから、その規制は厳格に解すべきであるが、同条後段の教育の事業に対する支出、利用の規制については、もともと教育は、国家の任務の中でも最も重要なものの一つであり、国ないし地方公共団体も自ら営みうるものであって、私的な教育事業に対して公的な援助をすることも、一般的には公の利益に沿うものであるから、同条前段のような厳格な規制を要するものではない。
 同条後段の教育の事業に対する支出、利用の規制の趣旨は、公の支配に属しない教育事業に公の財産が支出又は利用された場合には、教育の事業はそれを営む者の教育についての信念、主義、思想の実現であるから、教育の名の下に、公教育の趣旨、目的に合致しない教育活動に公の財産が支出されたり、利用されたりする虞れがあり、ひいては公の財産が濫費される可能性があることに基づくものである。
 このようなの趣旨を考虞すると、教育の事業に対して公の財産を支出し、又は利用させるためには、その教育事業が公の支配に服することを要するが、その程度は、国又は地方公共団体等の公の権力が当該教育事業の運営、存立に影響を及ぼすことにより、右事業が公の利益に沿わない場合にはこれを是正しうる途が確保され、公の財産が濫費されることを防止しうることをもって足りるものというべきである。
 右の支配の具体的な方法は、当該事業の目的、事業内容、運営形態等諸般の事情によって異なり、必ずしも、当該事業の人事、予算等に公権力が直接的に関与することを要するものではないと解される。


 控訴人らは、私立学校法59条、私立学校振興助成法10条、同法附則2条5項の規定は、憲法89条の規定を受けて定められたものであるから、国又は地方公共団体が自ら教育事業を行う場合を除いては、右の私立学校振興助成法等の規定に従ってしか教育事業に対する公費助成はできないと解すべきである旨主張する。
 確かに、私立学校法59条、私立学校振興助成法10条、同法附則2条5項の規定は、憲法89条の規定を受けたものであるが、右各規定は、私立学校法による学校法人という形態を採る場合の教育事業(その設立予定の場合を含む、)に対し、その公教育たる性格に着目し且つ私立学校の自主性を尊重しつつ、一定の基準に基づき助成することを定めたものにすぎず、教育事業に対する助成が右の各法による以外には許されないと解すべきものではなく、また、憲法89条は、当該助成を受けた教育事業が公の支配に服していることを規定しているが、右規制が法律によるものであることまでを求めているものではないと解される。
 控訴人らの右主張は採用できない。

ちょっと長いんで事実認定を飛ばして・・・。

4 3の事実を基に、町による本件教室に対する関与の程度について判断するに、本件教室は、開設当初から公立幼稚園の代替施設として設けられたものであり、本件土地、建物等その施設の大部分を町から無償で提供されており、経営経費についてもかなりの部分を町からの補助金で賄っており、財政面では公立の幼稚園と大差のないものであり、本件教室の存立自体が町の財政的負担に頼っているといえる。
 そして、右の公の財産の利用、支出については、補助金についての一般の規制のほか、本件教室に対する個別の指導により、公の利益に沿わないものに使用又は利用されないように規制、管理されているが、本件教室の予算、人事等については、本件教室に委ねられ、これについて町が直接関与することはない。
 しかし、それは、本件教室の目的が、幼児の健全な保育という町の方針に一致し、特定の教育思想に偏するものでなく、その意思決定について保護者による民主的な意思決定の方法が確保されているため、これに直接関与する必要がないためであり、本件教室と町との前示の関係を考慮すれば、本件教室と運営が町の助成の趣旨に沿って行われるべきことは、町の本件教室との個別的な協議、指導によって確保されているということができ、以上のような事情の下においては、本件教室についての町の関与が、予算、人事等に直接及ばないものの、本件教室は、町の公立施設に準じた施設として、町の関与を受けているものということができ、右の関与により、本件教室の事業が公の利益に沿わない場合にはこれを是正しうる途が確保され、公の財産の濫費を避けることができるものというべきであるから、右の関与をもって
憲法89条にいう公の支配に服するものということができる。
 したがって、控訴人らの
憲法89条違反の主張は採用できない

として、原告らの訴えを棄却しているわね。
  あぁ、よかったです!
本判決では、憲法89条後段立法趣旨については
同条後段の教育の事業に対する支出、利用の規制の趣旨は、公の支配に属しない教育事業に公の財産が支出又は利用された場合には、教育の事業はそれを営む者の教育についての信念、主義、思想の実現であるから、教育の名の下に、公教育の趣旨、目的に合致しない教育活動に公の財産が支出されたり、利用されたりする虞れがあり、ひいては公の財産が濫費される可能性があることに基づくものである。
として、先に述べた学説でいうところの@公費濫用防止説親和的な考え方を示しているわね。

そして、憲法89条にいう『公の支配』については
憲法89条は、当該助成を受けた教育事業が公の支配に服していることを規定しているが、右規制が法律によるものであることまでを求めているものではない
として、
本件教室についての町の関与が、予算、人事等に直接及ばないものの、本件教室は、町の公立施設に準じた施設として、町の関与を受けているものということができ、右の関与により、本件教室の事業が公の利益に沿わない場合にはこれを是正しうる途が確保され、公の財産の濫費を避けることができるものというべきであるから、右の関与をもって憲法89条にいう公の支配に服するものということができる
として、学説にいうA緩和説的な立場を示しているといえるわね。

あ、そうそう。
憲法89条後段にいう『教育の事業』についても、その意味を述べているって言ったわよね。
判決文でいうと
憲法89条に規定する教育の事業とは、「人の精神的又は肉体的な育成をめざして人を教え、導くことを目的とする組織的、継続的な活動」をいう
と述べている部分が、そうね。
因みにだけど、この『教育の事業』は、学校教育の事業に限られず、社会教育の事業も含むと一般には解されているわね。
・・・判例検討でページ移動してないのに長いのは、どういうことだお。
事案再現を掻い摘んで短くまとめて上げたのに、文句を言うなんて、どういうことよ・・・と私も思っているけどね。

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