司法権の独立@ | ||
さぁ。 今日からは、司法権(=司法府)の独立について学ぶことにするわね。 |
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こくこく(相づち)。 |
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まずは、司法権の独立とは、どのようなものかってことからね。 司法権の独立とは 『裁判が公正に行われ人権の保障が確保されるためには、裁判を担当する裁判官が、いかなる外部からの圧力や干渉も受けず、公正無私の立場で職責を果たす必要がある。 そのため、司法権独立の原則は、近代立憲主義の大原則として、諸外国の憲法において広く認められてきた』 ものである、と説かれるわ。 (芦部信喜 高橋和之補訂『憲法 第6版』 岩波書店 356頁) この司法権の独立が求められる理由については @司法権は非政治的権力であり、政治性の強い立法権・行政権から侵害される危険性が大きいこと A司法権は、裁判を通じて国民の権利を保護することを職責としているので、政治的権力の干渉を排除し、とくに少数者の保護を図ることが必要であること が挙げられるわね。 |
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司法権の独立との関係ですと、大津事件なんかが有名ですよね。 | ||
ソレって判例? | ||
またまたぁ、藤さん。 大津事件ですよ? |
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あぁぁぁ、はいはいはい。 大津事件ね。 確かに、アレは問題になった事件だったよねぇ。 そうそう。 うんうん。 |
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教えて欲しいです! 訊きたいです! |
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あ、 竹中さんは御存知ないんですか? でしたら・・・ |
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違うです! 藤先輩から訊きたいです!! |
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そっか。 よし、そんなチビッ子に、この言葉を授けてやんよ! 『ググレカス!』 |
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絶対、知らないですっ! 藤先輩は、絶対に知らないですっ! |
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オネーちゃんの言ってる言葉の意味はワカラナイけど、ナカちゃんを泣かせちゃ駄目だよぉぉぉっ! | ||
あんたねぇーーーっ!! 知らないなら知らないって言えばいいでしょうよ! ナニ、その腹立たしい返しはっ!! 大津事件っていうのは、まぁ、参照先のリンクで見て貰えば早いとは思うけれど、明治24年に滋賀県大津市で起きた事件なのね。 日本に来遊巡行中のロシア皇太子に、その警備をしていた巡査であった津田三蔵がサーベルで斬り付けたっていう事件なの。 |
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ソ、ソレは、とんでもない国際問題です! | ||
まぁ、そういうことになるわけよね。 ただ、法律(当時の)上は、外国の皇太子に斬り付けたからと言って、その行為を、特に罰する法律がなかったわけ。 そうなると、法律上は、民間人を斬り付けたというのと同じ扱いになることから津田三蔵を、死刑にすることまでは出来ないということだったわけ。 ただ、時の政府は、外交上の考慮(主にロシアの報復をおそれて)から、津田三蔵に死刑判決を下すように、当時の裁判所(大審院)に働きかけたわ。 この働きかけに対して、当時の大審院長であった児島惟謙は、 「法治国家として法は遵守されなければならない」 とする考えから、政府の圧力に屈しず、無期徒刑という判決を下したわけ。 |
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そうそう、そうなんだよね。 うんうん。 |
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(ジトォ〜) | ||
ナニが、そうなんだよね、なんだか。 ただ、児島自身が、司法部の独立を守るために、事件担当の裁判官を強く説得した・・・という事実があるのは、微妙なところになるかもね・・・。 |
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あらま・・・。 ソレは確かに微妙な話だね。 |
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高度に難しい問題であったわけだし、強大な政府の圧力から、司法部全体の独立を守るため、という見解からすれば、児島の説得も肯定され得るとも考えられるし、裁判官の判断の独立を侵害するものである、という見解からすれば、児島の説得は批判されることになるでしょうね。 事実、司法権の独立という言葉には2つの意味があるわけだからね。 『司法権独立の原則には、2つの意味がある。 一つは、司法権が、立法権・行政権から独立していることである(広義の司法権の独立)。 もう一つは、裁判官が裁判をするにあたって独立して職権を行使することで、裁判官の職権の独立とも呼ばれる。この職権の独立こそ、司法権独立の核心と言ってよい』 と解されているからね。 (芦部信喜 高橋和之補訂『憲法 第6版』 岩波書店 357頁) |
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なるほど、なるほど。 確かに、そう考えると、広い意味での司法権の独立は守ったけれど、狭義の司法権の独立は侵害された・・・とも言えるね。 |
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そういう理解になるかな。 それじゃ、ここで条文確認ね。 憲法76条3項を見てくれる? |
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日本国憲法第76条3項。 『第76条 【裁判官の独立】 3項 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。』 |
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ここにいう『良心』。 いわゆる裁判官の『良心』とは、どのようなものを言うのか、というのが問題になるわ。 さらに、条文確認して欲しいんだけれど、憲法19条を見てもらっていいかしら? |
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日本国憲法第19条。 『第19条 【思想及び良心の自由】 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。』 |
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この憲法19条にいう『良心』 そして、憲法76条3項にいう『良心』は、同じものをいうのか? っていう論点があるのよね。 |
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え? そんなもん同じじゃないの? だって、『良心』が2つあるなんて・・・ あ、そっか。 「両親」は2人いるから・・・いや、関係ないない。 |
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ナニ、一人漫才しているのよ! 学説は2説あるわ。 今、サルが言ったように、およそ1人の良心は、1つだけであり、憲法19条と同じく、主観的・個人的な良心をいう、とする主観的良心説と呼ばれる考え方ね。 そして、もう一つは、 76条3項にいう『良心』とは、憲法19条で、その自由が保障されている個人的・主観的な意味での良心ではなく、客観的な『裁判官』としての『良心』である、という客観的良心説と呼ばれる考え方ね。 因みに、通説的理解としては、後者とされているわ。 |
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あらま。 | ||
一般市民としての裁判官なのか。 職業専門人としての裁判官なのか。 というところかしらね。 判例もあるところではあるけれど、判例が、いずれの考えの立場に立つものかは、ちょっと読み取り難いのよね。 ドッチとも取れる・・・というところになっちゃうんだけれど、一応、百選掲載判例だから見ておきましょうか。 最大判昭和23年11月17日ね。 (百選U 182事件) |
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・・・。 (ドッチでもいいって思う。) |
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最高裁は、次のように述べているわ。 『被告人がその犯意を否定するに足る事実を公判廷で供述したのを第二審が採用しなかつたことを原上告審に對(タイ)して強調したのにもかからず、原上告審は右主張を無視したのは第二審の肩を持ちすぎたものであつて、憲法第37条第1項の公平な裁判所ということができないし又憲法第76条第3項にいう良心に從つて裁判をしたということができぬと云うのである。 しかし憲法第37条第1項の公平な裁判所の裁判というのは、構成その他において偏頗の惧のない裁判所の裁判という意味であり、又憲法第76条第3項の裁判官が良心に從うというのは、裁判官が有刑無刑の外部の壓迫乃至誘惑に屈しないで自己内心の良識と道コ感に從うの意味である。 されば原上告審が、證據(ショウコ)の取捨選擇(センタク)に事実審の專檢(センケン)に属するものとして第二審の事實認定を是認したのは當然(トウゼン)であつて強いて公平を缺き且良心に從(シタガ)はないで裁判をしたと論難することはできない。』 と、しているわね。 |
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うーん。 成程ねぇ。確かに、どっちかはワカラナイね、コレ。 |
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そうね。 じゃあ、次は・・・そうね、再度条文確認しておきましょうか。 憲法76条3項を見てくれる? |
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日本国憲法第76条3項。 『第76条 【裁判官の独立】 3項 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。』 |
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ここにいう『独立してその職権を行ひ』という文言については、裁判官が、他の何者の指示も指示・命令を受けず、自らの判断に基づいて裁判を行うことをいうわ。 ここで問題になるのは、次の3点ね。 @議院の国政調査権 A司法内部における統制 B裁判批判 あ、@議院の国政調査権については国会Jの勉強会のところで話したから、ここでの説明は省略するわね。 不安があるようなら復習しておくことをお勧めするわね? 木下さん。 |
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ふあぁ〜い。 ぅわっかりますたぁ〜。 |
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感じ悪ぅ〜い。 えーっと、A司法内部における統制について話すわね。 これは、上級裁判所、特に最高裁判所の下級裁判所に対する監督権のあり方の問題だわ。 『一般的な司法行政上の監督権を超えて個別裁判への干渉にあたると考えられるケースが過去にいくつかみられるが、直接的な干渉よりも、むしろ通常の司法行政のあり方が、裁判官に与える影響を重視すべきであろう。 間接的で緩やかな影響のほうが、直接的ではっきりした干渉よりも、実質的に裁判官の職権の独立にとっては脅威といえるからである』 といった指摘もなされているところではあるわ。 (野中俊彦・他『憲法U 第5版』 有斐閣 243頁) この指摘でも言われているように 『一般的な司法行政上の監督権を超えて個別裁判への干渉にあたると考えられるケースが過去にいくつかみられる』 という例として有名なのは、例えば、平賀書簡事件なんかがあるわね。 |
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『土用丑の日』ってキャッチコピーを広めたという、あの? | ||
ソレは、平賀源内です・・・。 | ||
あんた、関係のないチャチャ入れないでよ! 平賀書簡事件というのは、またいずれ勉強する長沼ナイキ事件で問題になった事件なのよね。 北海道長沼町に造られることとなった自衛隊のミサイル基地建設に反対する地元住民からの訴訟を受けて、自衛隊の合憲性が問題となったんだけど、この際、一審の事件担当裁判官である福島重雄裁判長に対して、当時の札幌地裁所長であった平賀健太所長から送られた書簡であることから、この事件名がついているのよね。 |
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問題になった・・・ということは、その書簡には、裁判官の独立を侵害する内容があった・・・っと。 | ||
そういうことね。 判断の一助にして欲しい、という前置きに続いて、自衛隊の合憲性については、国側の裁量判断を尊重して、違憲判断は避けるべきである、という旨を示唆する内容の私信だったのよね。 |
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うわ・・・お察し・・・。 | ||
福島重雄裁判長は、自衛隊の違憲判決を初めて下した裁判長として御高名な方ね。 ちなみにだけど、この有名な平賀書簡を、今は見ることもできるのよね、まぁ、本の掲載・・・だけれどね。 |
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成程ねぇ。 ドラマの『リーガルハイ2』の中でも、別府裁判官に対して、そういう一面を垣間見させるシーンもあったしね。 司法内部における干渉っていうのは、あるわけなんだねぇ。 |
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そ、そ、そのドラマも知らないです! ネタバレしちゃダメですっ! |
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よし、それなら、コレも一緒に見てまおうっ! あ、でも、そのシーンは、ドラマの第2シーズンだから、先ずは第1シーズンから・・・ってことになるのかな? やっぱり。 いやいや、でも、肝心の裁判官が出てくるのは、確か、ドラマのスペシャル版だったことを考えると、ソレも間に見ておく必要が・・・ |
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あんた、どんだけ映画やドラマを見るつもりでいるのよ! ただでさえ勉強していないのに、そんなことでいいわけ!? それじゃ、最後にB裁判批判ね。 国民による裁判批判は、これは表現の自由の一環として認められてるわ。 もっとも、直接に裁判に圧力を加えたり、裁判官を脅迫したりするような形のものが許されないものであることは言うまでもないことよね。 つまり、裏返せば、健全な形のものである限り、裁判官の独立を理由に、国民の表現の自由としての裁判批判は排除されるものではない、ってことになるわ。 |
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うーん、と言われても、あたし、基本、他人の粗捜しとか、他人を非難したりすることは出来ない性格だからなぁ。 表現の自由として認められているからって言っても、まぁ、出来ないんじゃ、どうしようもないって話だよねー。 |
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ですって。 竹中さん。 |
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ですってね。 明智先輩。 |
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そうやって、あたしを、です(=ディス)ってんのな! |