司法権の限界B 
藤先輩、先日は大丈夫だったですか?
  ん? ナニが?
いえ、明智先輩の警護の方に、ヒドい目に遭わされたんじゃないかと。
あ、竹中さんは心配して下さっているんですね。
大丈夫ですよ!
藤さんに、万が一のことがあったら、と思って、私もコッソリ後をつけていったんですけれど、アレは光ちゃんの冗談だったんですよね。 
まったくっ!
言っていい冗談と、悪い冗談との区別もつかないんだから困ったもんだよね。
あたしの寿命が、アレで確実に5年は縮んだからね!
光ちゃんは、少し意地の悪いところがありますからね。
藤さんみたいな心優しい方に、あんな性質の悪い冗談を言うなんて、私からも、一度言い聞かせておかないと、って思いました。 
そうなんですか。
安心したです。
それじゃ、柔道暦18年の柴田さんって人も、明智先輩の冗談だったんですね。
ううん、ソレはホントだったよ!
チイ、そんな凄い柔道家の人がいるんだって思って、ワクワクしてオネーちゃんと一緒についていったもん!
身体も、すっごい立派で、チイ、肩車とかしてもらえたよ!
畳もない場所だし投げ技は、ちょっと・・・って断られちゃったけど。
まさか「投げて、投げてぇ」って頼まれるとは、ってSPのオネーさんも困惑されとったからなぁ。
私も握手させて貰いましたけど、掌がすっごく固くって驚いちゃいました。 
スゴいよねぇ、スゴいよねぇ。
きっと、すっごく強いんだろうなぁ。
あら、楽しそうね。
なんの話題?
 
  明智財閥の構成員の話。
言い方に気をつけてよね!
ナニ、その暴力団を前提としたような表現はっ!!
柴田さん、アレですっごい乙女なんだから、そんな呼ばれ方されたら気にされるじゃないのよ!
  すいやせん、姉御。
・・・全然やめる気ないじゃないのよ。
いいの?
この前、会った木下って人が「構成員」って言ってました、って、柴田さんに伝えちゃうわよ?
す、す、すみませんっ!! 明智さんっ!!
  必死ですっ!!
もう!
私だって、柴田さんの性格知っているから、そんなこと言わないわよ!
えーっと、それじゃ勉強会に入るわね?

司法権の限界についての勉強会も3回目になったわね。
どのような限界があるか、ってことについては、大別すると次の類型があるってことだったわよね。

@憲法の限界
A立法権に対する限界
B行政権に対する限界
C団体内部事項に関する行為に対する限界

今日からは、このC団体内部事項に関する行為に対する限界について学ぶことにするわ。

ただ、この問題は、団体と一口に言っても、非常に多様性があるものであることから、そう簡単には、まとめられないわ。
そこで、さらに、その内容を、

@宗教問題と裁判所の審判権に関わる訴訟
A部分社会の法理


つに分けて判例を整理していくことにしようと思うわ。
今回と、次回の2回に分けて、まずは、この@宗教問題と裁判所の審判権に関わる訴訟について判例を題材に理解を深めることにするわね。
  こくこく(相づち)。
この宗教問題というのは、なかなか厄介なものなんだけれど、まずは大前提として抑えておくべきなのは、宗教上の教義の成否の判断そのものや、法的な権利利益を伴わない単なる宗教上の地位の存否の確認を求める訴え等については法律上の争訟には当たらず、裁判の対象にはならないってことで、判例学説は、ほぼ一致しているわ。

まずは、この考え方が出発点になるから、ここはしっかり抑えておいてね。 
ふむふむ。
確かに、宗教上の教義について、裁判で司法の判断を求められても・・・って話だもんね。
そうね。

そして、次に、宗教問題と裁判所の審判権の限界を考える上で、重要なのが、宗教問題の事項のどこまでに司法権が及ぶのか、という線引きをしているのか、という視点になるわ。

この線引きをする上では、事案の考察が肝要だわ。
この種の裁判例は、それなりに数があるところなんだけれど、訴訟を、まず2つに分類して判例を見ていこうと思うわ。

@紛争自体は、全体として裁判所による解決に適さないとはいえない場合
A前提問題として、宗教問題が宗教上の教義の解釈にわたっており、それについて判断することが宗教法人の自治に介入することになる場合


という2場面に分けて見ていくってことにするわね。

今日の勉強会では、まず@の場合判例を見ることにしましょうか。 
判例一杯見れそうだね。
チイ、ワクワクしてきちゃったよ!
・・・。
(この小動物、この前の「投げて、投げて」発言と言い、ネジが2〜3本抜けてんじゃねぇのかなぁ。
 価値観が、どっか狂っとるんだお。
 あたしみたいな常識人から見ると、理解に苦しむお。) 
・・・。
(藤先輩が常識人なら、私は、まず、その常識を疑うです!)
最初に見る判例は、種徳寺(シュトクジ)事件ね。
最判昭和55年1月11日
この事件の原告が種徳寺の住職だったことから、この事件名がついているんだけど・・・。

この住職が、お寺の仕事をサボってばかりだったために、檀徒の方からの苦情が相次いで、種徳寺の本山である包括宗教法人である曹洞宗の管長によって罷免されることになったのね。

ただ、曹洞宗では、代表役員たる地位は、住職の職にある者をもって充てるとする宗制があったため、この罷免によって原告は、種徳寺の代表役員たる地位も失うことになったの。

そうなると、この原告は、お寺から退去しないといけないってことになるわ。
それなのに、住職の地位を罷免されながらも、尚、お寺に居座り続けたため、明渡し等を求める訴えを提起されたのね。

これに対して原告は、自分が種徳寺の住職の地位にあることの確認の訴えを提起したわけ。 
お寺の仕事をしない住職さんがクビになるのは、当然だろう。
常識的に考えて。
法律の勉強をしない学生さんが留年するのは、当然じゃないの?
常識的に考えて。 
だ、だ、誰のことを言っているの?
思い当たる節がないのなら、別に私はいいんだけれど。
一般論だからね。一般論。

さて、この事件の争点は、
@住職たる地位の確認を求める訴えについて、裁判所は審理判断することができるのか

ってことよね。

換言するならば、裁判所法3条1項にいう『法律上の争訟に、原告の訴えは該当するのか? ってことよね。
法律上の争訟』というのは、
@当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって
 かつ
A法令を適用することによって、終局的に解決することができるもの

2要件でしたよね。

この事案が、この『法律上の争訟にあたると言えるのか?(=『法律上の争訟の要件を満たすのか?) ということが問題になっているわけですね。
うーん、どうなんだろ・・・。
お寺の仕事をしない住職をクビにしたわけなんだから、ソレが妥当かどうかくらいは、裁判所が判断してもいいと思うけどなぁ。 
最高裁は、次のように述べているわ。

上告人が原審において提起した新訴は、上告人と被上告人宗教法人曹洞宗との間において上告人が被上告人宗教法人種徳寺の住職たる地位にあることの確認を求める、というにあるが、原審の適法に確定したところによれば、曹洞宗においては、寺院の住職は、寺院の葬儀、法要その他の仏事をつかさどり、かつ、教義を宣布するなどの宗教的活動における主宰者たる地位を占めるにとどまるというのであり、また、原判示によれば、種徳寺の住職が住職たる地位に基づいて宗教的活動の主宰者たる地位以外に独自に財産的活動をすることのできる権限を有するものであることは上告人の主張・立証しないところであるというのであつて、この認定判断は本件記録に徴し是認し得ないものではない。

 このような事実関係及び訴訟の経緯に照らせば、上告人の新訴は、ひつきよう、単に宗教上の地位についてその存否の確認を求めるにすぎないものであつて、具体的な権利又は法律関係の存否について確認を求めるものとはいえないから、かかる訴は確認の訴の対象となるべき適格を欠くものに対する訴として不適法であるというべきである


つまり、お寺の住職たる地位の確認を求める訴え
単に宗教上の地位についてその存否の確認を求めるにすぎないものであって、具体的な権利又は法律関係の存否についての確認を求めるものとはいえない
として『法律上の争訟』の@の要件を欠くものであるから、不適法却下、ということになるわ。
うーん、でも、この原告は、住職という地位がないってことになると、お寺から退去しないといけなくなるわけでしょ?
ソレは、具体的な権利の存否についての問題じゃないかな? 
そうね。
だから、最高裁判決文は次のように続くわ。

住職たる地位それ自体は宗教上の地位にすぎないからその存否自体の確認を求めることが許されないことは前記のとおりであるが、他に具体的な権利又は法律関係をめぐる紛争があり、その当否を判定する前提問題として特定人につき住職たる地位の存否を判断する必要がある場合には、その判断の内容が宗教上の教義の解釈にわたるものであるような場合は格別、そうでない限り、その地位の存否、すなわち選任ないし罷免の適否について、裁判所が審判権を有するものと解すべきであり、このように解することと住職たる地位の存否それ自体について確認の訴を許さないこととの間にはなんらの矛盾もないのである。

とね。 
  うん?
つまり、どういうこと?
住職たる地位の確認を求める訴えは、『法律上の争訟』の@の要件を欠くものであることから不適法却下となるわ。

ただ、サルが指摘したように、本件原告は、住職たる地位を失うことによって、お寺の占有権限をも失うわけよね。

この点について、最高裁

他に具体的な権利又は法律関係をめぐる紛争があり、その当否を判定する前提問題として特定人につき住職たる地位の存否を判断する必要がある場合には、その判断の内容が宗教上の教義の解釈にわたるものであるような場合は格別、そうでない限り、その地位の存否、すなわち選任ないし罷免の適否について、裁判所が審判権を有する

としているわ。

そして、本件原告の罷免の理由は、寺務放棄、つまり、お寺の仕事をサボったことよね。
住職さんが、本来するべき仕事をしたか、しなかったか、という事実認定には、ナニも宗教上の教義の解釈が求められるものではないわ。
だからこそ、本件では
罷免の適否について、裁判所が審判権を有する
という結論になっているわけよね。 
ふむふむ・・・。
宗教上の地位については、そんなもの知らんがな、ってことだけど、その問題が、具体的な権利関係の前提となっている場合には、宗教上の教義解釈に踏み込まなくていいのなら、司法の審理対象になるってことか。
ナニよ、あんたのイメージの中の最高裁の言い方は。
もう少し、ソレらしい言葉を使って表現してよね! 
お? お?
なんか文句でもあんのかお?
あたしの言論の自由を制約しようってのかお!?
そ、それは、とんでもない言論封殺ですね!
光ちゃんっ!
私からも断固抗議致しますっ!
・・・。
(この2人ときたら・・・もうっ!
 柴田さんに、ブン投げてもらっとけば良かったかしら。)

もう一つ、この流れで、見ておきたい判例があるわ。 
あっ!
じゃあじゃあ、せっかくだし判例検討しようよっ!
そうね、そうしちゃう?
検討判例は、本門寺(ホンモンジ)事件ね。
最判昭和55年4月10日
どうかしら。
今日抑えた2つの判例は、共に

@紛争自体は、全体として裁判所による解決に適さないとはいえない場合

にあたる
判例だったわけね。

裁判所による解決に適さないとはいえない
という少し回りくどい言い方をしている理由についても、判例を見てワカッタんじゃないかしら。 
確かにね。
司法権の判断が及ぶこともあるってことで、結果として、ドッチも及ぶことを認めている判例ってことだね。 
そうなるわね。

次回は、A前提問題として宗教問題が宗教上の教義の解釈にわたっていて、それについて判断することが宗教法人の自治に介入することになる場合について判例を見ていきたいって思っているわ。

今日みたいな姿勢で臨んでくれるなら・・・。 
うんうん。
皆まで言ってくれるな、親友よ。
・・・。
(御馳走してもらうって言うのに、偉そうなのは何故でしょうか。)
そうね。
それじゃ、リクエストは、チイちゃんにしてもらおっかな。
チイちゃん、今から、みんなで御食事に行こうって思うんだけど、チイちゃんはナニが食べたい? 
え? え?
チイが食べたい物を決めていいの?
やった、やったぁっ!!
  チイっ!! 高いモノ頼むんだよ!
いいよねっ!?
うんとね・・・チイが食べたいのはお肉っ!
お肉が食べたいよっ!!
よしよぉぉぉぉぉぉっし!!
よくぞ言った、我が妹よっ!!
それは姉の本懐。
まさに得たり、とはこのことよっ!!
それじゃ、木下姉妹の大好きな焼肉にしちゃう? 
わーいっ! わーーい!!
食べ放題のお店に行こうよっ!
食べ放題のお店っ!!
ば、ばかっ!!
チイっ!
ソコは、高級炭火焼肉のお店に行こうよ、だろうが。
常識的に考えてっ!!
そっか。そう言えば、チイちゃん、食べ放題のお店に行きたいって言ってたものね。
いいわ。それじゃ、今夜は焼肉食べ放題のお店に行きましょうか。 
・・・むぅぅ。
微妙に勿体無い気がせんでもないけれど、まぁ、許してやるとするか。
どれ、食べ放題の焼肉とやらを喰いに行くぞ? 
・・・。
(御馳走して頂くというのに何故に、こんな偉そうなんでしょうか・・・。
 藤先輩には、およそ常識という概念が欠落しているです。)

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