最高裁昭和55年4月10日判決
配役を発表するわね。
事件名からもワカルように、この事件は、日蓮宗の本門寺というお寺の住職が誰かってことを争った事件なのね。

では、この住職という地位について・・・

檀信徒総会の選挙によって住職に選任された原告チイちゃん
前住職の単独の意思によって住職に選任された方ナカちゃん
本門寺を、つかさちゃん
ナレーターが務めるわ。

ナレーター
本門寺の住職を誰にすべきか・・・。
この問題は、末寺等の住職の推薦に基づき、行われた檀信徒総会の選挙の結果、チイちゃんが本門寺の住職に選任されました。
選任してくれて、ありがとう!
チイは、これから本門寺の住職さんとして頑張るね!
原告

単独意思で選任された住職
ふえ? です!
本門寺の住職は、既に私です!
え?
どういうこと?
原告

単独意思で選任された住職
私は、本門寺の前の住職さんの単独の意思によって、既に、このお寺の住職さんに選任されているです!
見て欲しいです!
ちゃんと、登記上の代表役員も私になっているです!

ナレーター
本門寺寺院規則によれば、住職は、代表役員および責任役員に充てる旨が定められていました。
でも、そんなのおかしいよ!
チイは、末寺等の住職さん達に推薦されて、その上で、檀信徒総会の選挙によって本門寺の住職さんに選ばれたんだよ?
だから、チイこそ代表役員としての地位にあると思うよ!

原告

単独意思で選任された住職
そんなこと言われても、私も困るです!
じゃあ、チイは本門寺を訴えるよ!
住職を、どうやって決めるかについては、確かに、これといった慣習や規則はないけれど、それでも、檀信徒のみんながチイを住職に選んでくれたことには間違いないんだもん。
だから、本門寺の代表役員は、チイじゃないとダメだと思うよ!

原告

本門寺
代表役員たる地位の存否を前提としたとしても、住職たる地位の存否は、宗教上の問題ですよ?
そのような宗教上の問題を、裁判所が審判権の対象とするなんて、憲法上保障された宗教の自由を侵害するものだとは思わないのですか?
 






そこまでかな。
これ、チイの訴えは、さっきやった種徳寺事件と違って、住職の地位の確認じゃなくって、代表役員の地位の確認なんだね。
コレは、なんか違うの?
すごくいい指摘ね。
この違いは、非常に大きな違いになるわ。

最高裁は『宗教上の地位法律上の地位との区別を非常に重視しているわ。

確かに、種徳寺でも、本門寺でも、住職と代表役員は、同一人物によってなされているわ。
お寺では、こういった取扱いが常らしいんだけれど、この両者は明確に区別すべきものなのね。

住職という地位は、宗教上の内部的地位、ないしは宗教活動上の地位
これに対して「代表役員という地位は、宗教法人の機関であることから、法律上の地位ということになるわ。

前者であれば『具体的な権利又は法律関係の存否について確認を求めるものとはいえない』(種徳寺事件判決文)とされ、『法律上の争訟』の@要件キられてしまうわけよね。
でも、後者は、法律上の地位であることから『法律上の争訟』の@要件を満たすことになるわ。

問題文において、ナニを確認請求の対象としているか、という事実認定が求められる部分になるから、しっかり見落とさないようにして欲しいわ。
こくこく(相づち)。
本件の争点なんだけど、そのうちの1点については、サルが質問で聴いちゃったから、答えちゃったわね。
争点@は、宗教法人における代表役員たる地位の確認を求める訴えは認められるか
ってことなんだけど、さっきの答えが、そのまま当てはまるわね。
つまり、認められるってことになるわ。

そして、争点Aとしては、
住職たる地位の存否が、代表役員たる地位の存否の確認を求める請求の当否を判断する前提問題となっている場合に、裁判所は、住職たる地位の存否について審判権を行使することができるのか
ってことになるわ。
むむむ・・・。
さっきの種徳寺事件の場合は、住職さんが、お寺の仕事をサボっているという明らかに、ソレはアカンやろ・・・って問題だったから判断が及ぶっていうのは、そりゃそうだって思えたけど、この事件では、選挙と、前の住職さんからの選任ってことでしょ?
・・・難しいなぁ・・・ちょっと、これ答えが気になる事件だね。
あら、珍しく前向きな態度じゃないの。
それじゃ、判決文を見るわね。
まずは、争点@の部分についてだけにしておくわ。

本訴請求は、被上告人が宗教法人である上告人寺の代表役員兼責任役員であることの確認を求めるものであるところ、何人が宗教法人の機関である代表役員等の地位を有するかにつき争いがある場合においては、当該宗教法人を被告とする訴において特定人が右の地位を有し、又は有しないことの確認を求めることができ、かかる訴が法律上の争訟として審判の対象となりうるものである

として、まず、代表役員たる地位の確認の訴えは法律上の争訟にあたることを認定しているわね。
うんうん。
ソコは、さっき聞いた。
はよ、先いってくれてOK!
じゃあ、御要望に応えて。

裁判所は、特定人が当該宗教法人の代表役員等であるかどうかを審理、判断する前提として、その者が右の規則に定める宗教活動上の地位を有する者であるかどうかを審理、判断することができるし、また、そうしなければならないというべきである。
 もつとも、宗教法人は宗教活動を目的とする団体であり、宗教活動は憲法上国の干渉からの自由を保障されているものであるから、かかる団体の内部関係に関する事項については原則として当該団体の自治権を尊重すべく、本来その自治によつて決定すべき事項、殊に宗教上の教義にわたる事項のごときものについては、国の機関である裁判所がこれに立ち入つて実体的な審理、判断を施すべきものではないが、右のような宗教活動上の自由ないし自治に対する介入にわたらない限り、前記のような問題につき審理、判断することは、なんら差支えのないところというべきである


という判断枠組みを、まず示しているわね。

つまり『もっとも以降の条件にかからない限りは、審理・判断することは可能であるという規範になるわ。
ふむふむ。
コレは、さっき見た種徳寺事件での考え方と同じだよね。
似ていますが、より強い姿勢を打ち出しているとも言えますよね。

判決文中でも『判断することができる』というだけでなく『また、そうしなければならない』としていますし、『審理、判断することは、なんら差支えのないところ』とまで述べています。

ここから、原則として審判権が及ぶ問題である、という裁判所の姿勢が見てとれるといえますよね。
成程、成程。
確かに、そういう見方も出来るよね。
判決文は、先の規範定立から、次の当て嵌めに連なるわ。

これを本件についてみるのに、本件においては被上告人が上告人寺の代表役員兼責任役員たる地位を有することの前提として適法、有効に上告人寺の住職に選任せられ、その地位を取得したかどうかが争われているものであるところ、その選任の効力に関する争点は、被上告人が上告人寺の住職として活動するにふさわしい適格を備えているかどうかというような、本来当該宗教団体内部においてのみ自治的に決定せられるべき宗教上の教義ないしは宗教活動に関する問題ではなく、専ら上告人寺における住職選任の手続上の準則に従つて選任されたかどうか、また、右の手続上の準則が何であるかに関するものであり、このような問題については、それが前記のような代表役員兼責任役員たる地位の前提をなす住職の地位を有するかどうかの判断に必要不可欠のものである限り、裁判所においてこれを審理、判断することになんらの妨げはないといわなければならない

 そして、原審は、上告人寺のように寺院規則上住職選任に関する規定を欠く場合には、右の選任はこれに関する従来の慣習に従つてされるべきものであるとしたうえ、右慣習の存否につき審理し、証拠上、上告人寺においては、包括宗派である日蓮宗を離脱して単立寺院となつた以降はもちろん、それ以前においても住職選任に関する確立された慣習が存在していたとは認められない旨を認定し、進んで、このように住職選任に関する規則がなく、確立された慣習の存在も認められない以上は、具体的にされた住職選任の手続、方法が寺院の本質及び上告人寺に固有の特殊性に照らして条理に適合したものということができるかどうかによつてその効力を判断するほかはないとし、結局、本件においては、被上告人を上告人寺の住職に選任するにあたり、上告人寺の檀信徒において、同寺の教義を信仰する僧侶と目した者の中から、沿革的に同寺と密接な関係を有する各末寺(塔中を含む。)の意向をも反映させつつ、その総意をもつてこれを選任するという手続、方法がと られたことをもつて、右条理に適合するものと認定、判断したものであり、右の事実関係に照らせば、原審の右認定、判断をもつて宗教団体としての上告人寺の自治に対する不当な介入、侵犯であるとするにはあたらない

としているわけね。
ふぅ〜むぅ〜。
専ら上告人寺における住職選任の手続上の準則に従つて選任されたかどうか、また、右の手続上の準則が何であるかに関するもの
が問題になって、その手続きが、
条理に適合したものということができるかどうかによつてその効力を判断するほかはない
かぁ。

むむむっ!?
どうしたの?
この判断枠組みって、ずっと以前にやった共産党袴田事件似てない

確か、あの事件でも
請求の原因としての除名処分は、本来、政党の内部規律の問題としてその自治的措置に委ねられるべきものであるから、その当否については、適正な手続を履践したか否かの観点から審理判断されなければならない。
 そして、所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし正当として是認することができ、右事実関係によれば、被上告人は、自律的規範として党規約を有し、本件除名処分は右規約に則つてされたものということができ、右規約が公序良俗に反するなどの特段の事情のあることについて主張立証もない本件においては、その手続には何らの違法もないというべきであるから、右除名処分は有効である

って言ってたよね?

手続きの適正さが担保されていたか、そして、その手続を定めた規約が、公序良俗に反するものであるか、っていうのは、この事件の判断枠組みと、よく似ていると思うんだけど。
・・・共産党袴田事件を、以前一緒に検討されたんですね。
・・・私は呼んで頂いていないのが、個人的には、すごく残念なのですが・・・。
チイもだよ・・・。
いやいやいや、感想おかしいから。
あたしの疑問について答えてくれないかな、ソコは。
うんうん。
サルの指摘は外れていないわ。
共産党袴田事件は、この本門寺事件だからね。
共産党袴田事件最判昭和63年
本門寺事件最判昭和55年

本判決で示された条理に基づく手続審査の考え方は共産党袴田事件でも、確かに示されているわね。

でも、よく憶えていたわね。
なんだか嬉しくなっちゃったわ。
ご飯を御馳走してもいいと思えるくらいに?
・・・そういう余計なこと言わなければ、気持ちよく誘おうって思っていたのになぁ。
・・・。
(藤先輩は、いつも一言多いんです・・・。)

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