最判昭和56年4月7日判決
~板まんだら事件~
本件では、事件名にもなっている「板まんだら」が問題となっているわ。
特殊な事案だから、ちょっと独特の宗教用語も幾つか出て来るんだけれど、ソレは、判例の事案再現の中で、必要な程度に説明を入れるつもりだわ。

それじゃ、まずは配役ね。

創価学会の会員らを、ナカちゃんチイちゃん
創価学会サル
ナレーターが務めるわ。

ナレーター
1965年10月。
創価学会の会員らであったチイちゃんら17名は、創価学会が「広宣流布」達成の時期に、御本尊を安置するための「事の戒壇」である正本堂建立資金の寄付に応じることにしました。

なお、「広宣流布」とは、日蓮の三大秘法の仏法が日本国中、さらには全世界に広まることを言うそうです。
また、この「事の戒壇」たる正本堂に安置される御本尊が、俗称「板まんだら」と呼ばれるものだったことから、事件名とされています。

創価学会
えー、会員の皆様。
「事の戒壇」たる正本堂には、ありがたい御本尊が安置されますよ。
どんな御本尊様なのですか? です!
創価学会会員

創価学会
日蓮正宗において、日蓮様が弘安2年10月12日に建立した本尊(板まんだら)です
非常に御利益のある物ですよ。
スゴい、スゴいっ!
じゃあ、チイも寄付するよ!
・・・でも、チイはお金持ってないから280円だけになっちゃうけどね。

創価学会会員
私は200万円寄付するです!
創価学会会員

ナレーター
創価学会会員17名は、1人あたり280円から200万円の金員を寄付し、その寄付金額の総額は540万円になりました。

創価学会
正本堂が完成しましたよー。
会員の皆様よかったですねー。
立派な正本堂が建ったね!
良かったよ、良かったよ!

創価学会会員
正本堂が完成したということは、この完成時が「広宣流布」の完成時ということでしたから、日蓮様の教えが遍く全世界に広まったということになるです!
創価学会会員

創価学会
えー、会員の皆様に御報告したいことがあります。
正本堂は、皆様の御寄付もあって、こうして完成したわけですが「広宣流布」は、いまだ達成しておりません
ええ!?
話が違うよ!!

創価学会会員
そうです! 
そうです!

創価学会会員

ナレーター
しかも、寄付後において、正本堂に安置された板まんだらが、日蓮正宗において定められた『日蓮が弘安2年10月12日に建立した本尊』ではないことが判明したのです。
チイ、280円も払っているよ!
板まんだらが、偽物なんてヒドいよ!

創価学会会員
私なんて200万円も支払っているです!
それなのに、板まんだらは偽物、「広宣流布」は達成していないなんて、許せないです!
こんなことがワカッていたのだったら、私は寄付なんてしなかったです!

創価学会会員
そうだよ、そうだよ!
寄付目的に、重要な要素の錯誤があったってことになるよ!
だって、そもそも、板まんだらが偽物で、「広宣流布」が達成されていないって知っていたら、寄付なんてしなかったもん!

創価学会会員
チイちゃんの言うとおりです!
錯誤に基づく支払いである以上、私達の寄付は無効です!
寄付が無効ということは、創価学会が私達から得た寄付によるお金は、法律上の原因なく得た利得ということになるですから、不当利得になるです!
私達は、寄付金の返還を求めるです!

創価学会会員
 






そこまでかな。
これ、やってて思ったんだけどさ。
正直、「板まんだら」がぁ~とか、「広宣流布」がぁ~とか言われても、知らない人からしたら、ナニそれ?って感じだよね。
大体「広宣流布」が達成したのか、どうかなんて裁判所だって聴かれてもワカルわけなくない?
まぁ、本件の争点も、まさにその点にあるわけなんだけどね。

つまり、本件の争点は、宗教上の教義に関する判断が、原告らの主張する重要な要素の錯誤と言えるかどうか、つまり、不当利得か否かを決する前提問題にかかっているわけよね。
このような場合、裁判所の審判権は及ぶのか
ということが問題になっているわけなの。

端的に言ってしまえば、
本件事件において問題となっている錯誤についての判断が、宗教上の教義にかかっているような場合であっても法律上の争訟にあたるのか? 
ってことね。 
うーむー・・・。
錯誤に基づく寄付が無効だから、その寄付によるお金が不当利得だっていうのは、具体的な権利義務の問題だって思うから、裁判所による判断を求めたいって思うんだけどなぁ・・・。
その肝心の錯誤の内容がねぇ。難しいなぁ・・・。
でも、チイだって、板まんだらが偽物だって知っていたら280円は支払ってないと思うんだけどなぁ。
チイは280円しか払ってないから、まだいいけれど、ナカたんは200万だからなぁ。
それにしても、この事件、原告らの寄付金が280円から200万円までって、また滅茶苦茶幅があるよね・・・。
まぁ、ソコは争点とは関係のない事実だけれどね。
それじゃ、判決文を見ちゃいましょうか。

裁判所がその固有の権限に基づいて審判することのできる対象は、裁判所法3条にいう法律上の争訟」、すなわち当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であつて、かつ、それが法令の適用により終局的に解決すること
ができるものに限られる
(最高裁昭和三九年(行ツ)第六一号同四一年二月八日第三小法廷判決・民集二〇巻二号一九六頁参照)。
 したがつて、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争であつても、法令の適用により解決するのに適しないものは裁判所の審判の対象となりえない、というべきである


ここで、引用されている判例は、以前紹介した技術士国家試験事件ね。
法律上の争訟』についての規範を述べた判例であることから、ここでも引用されているわけね。

法律上の争訟』とは
①当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であつて
 かつ、
②法令の適用により終局的に解決することができるものに限られる


という2要件ね。
ここが出発点になるわ。
はしょっても、よかったんじゃない?
大事な規範だから、何度も見て抑えて欲しいって思っているからこそ見てもらっているんじゃないのよ!
はーい、続けまぁーす。

ここからは、あてはめ結論部分になるわ。

これを本件についてみるのに、錯誤による贈与の無効を原因とする本件不当利得返還請求訴訟において被上告人らが主張する錯誤の内容は、
(1) 上告人は、戒壇の本尊を安置するための正本堂建立の建設費用に充てると称して本件寄付金を募金したのであるが、上告人が正本堂に安置した本尊のいわゆる「板まんだら」は、日蓮正宗において「日蓮が弘安二年一〇月一二日に建立した本尊」と定められた本尊ではないことが本件寄付の後に判明した、
(2) 上告人は、募金時には、正本堂完成時が広宣流布の時にあたり正本堂は事の戒壇になると称していたが、正本堂が完成すると、正本堂はまだ三大秘法抄、一期弘法抄の戒壇の完結ではなく広宣流布はまだ達成されていないと言明した、というのである。

 要素の錯誤があつたか否かについての判断に際しては、右(1)の点については信仰の対象についての宗教上の価 値に関する判断が、また、右(2)の点についても「戒壇の完結」、「広宣流布の達成」等宗教上の教義に関する判断が、それぞれ必要であり、いずれもことがらの性質上、法令を適用することによつては解決することのできない問題である。

 本件訴訟は、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式をとつており、その結果信仰の対象の価値又は宗教上の教義に関する判断は請求の当否を決するについての前提問題であるにとどまるものとされてはいるが、本件訴訟の帰すうを左右する必要不可欠のものと認められ、また、記録にあらわれた本件訴訟の経過に徴すると、本件訴訟の争点及び当事者の主張立証も右の判断に関するものがその核心となつていると認められることからすれば、結局本件訴訟は、その実質において法令の適用による終局的な解決の不可能なものであつて、
裁判所法3条にいう法律上の争訟にあたらないものといわなければならない

としているわ。
成程、成程。
錯誤に基づく不当利得返還請求自体は、具体的な権利義務の存否に関する紛争なんだけど・・・。
やっぱり、流石に、その錯誤の内容が、宗教上の教義そのものに密接に関係する以上、その点については法令を適用して解決することは無理ってことになるわけか。
まぁ、残当って感じだから仕方ないよね。 
そうね。
本件では、『法律上の争訟』の①要件ではなく、②要件を満たしていないことを理由に、裁判所は審判権の行使ができない問題であると位置づけているわけね。 
確かに「板まんだら」が本物か偽物かどうか、とか「広宣流布」が達成しているのか、達成していないのか、なんてワカルわけないもんね。 
あんたみたいな無信心な人だと、特にそうでしょうね。 
いや、あたし、一応教祖様だかんね!
モヤシさえ食べていれば、人は健康を維持できるって信じとる! 
あ・・・モヤシ教か・・・。
冗談で言ったのに、いつの間にか、サルの中で定着していたんだ、知らなかったわ・・・。 
というわけで、モヤシ教の教えを遍く世界に広めるために、信者の皆様に寄付を求めるお!
ささ、寄付だお、寄付だお。お金を出すんだお! 
  そのお金は、ナニに使われるのですか?
無論、モヤシを大量購入するために使うお!
・・・チイ、お金があるのなら違うモノが食べたいよぉ。

新着情報